湧出言語



「未熟」

 

自分のことが解っていない状態を「未熟」と言います。

未熟な状態では、自分に合った縁は出来ません。

 

自分のことを理解し、受け容れた分だけ、自分に合った縁になっていきます。

 

それは、出会う人・出会う出来事・出会う仕事・出会う物・出会う質やタイミング・出会う気持ちまで、全ての出会いが自分にちょうど合ったものになっていきます。

 

大切な事は、自分に合ったものを探すことではなく、自分を理解し、受け容れる事です。

それを成長と呼んでいます。

 

そしてその成長は、毎日繰り返される体験によって確実に進んでいます。

 

だから大丈夫!

 

今 目の前にあるものに懸命に向き合っていれば、いいんです。

 

 

 



「成長は引き算」

 

成長するということは、外から何かを取り入れることではなく、自分にくっついている不必要なものを取り除いていくということです。

 

取り除くことによって自分の中から必要なものが引き出されていきます。

 

 

 



「大切な事」

 

人生において 周囲からどう思われるかは あまり大切な事ではありません。

 

大切なのは 自分が自分の事を どう思っているかです。

 

 

 



「浄化」

 

浄化するとは、ゼロ(±0)にするということです。

 

マイナスの人生を送ってきた(と思っている)人は、そのマイナスをなくすことで浄化できます。

 

プラスの人生を送ってきた(と思っている)人は、そのプラスをなくすことで浄化できます。

 

 

 



「人間関係は 二通り」

 

ひとつは自分が出来ることを行った結果、出来上がった人間関係です。

これはその後も、ちょうどいい関係を築きあげていくことが出来ます。

 

もうひとつは、自分が出来ないことを行った結果、出来上がった人間関係です 

この関係を維持していくことは努力と忍耐、もしくは勘違いが必要です。忍耐が限界を超えると、この関係は崩壊します

 

時には爆発的な崩壊になることもあるでしょう。

忍耐が限界を迎える前に、自分の勘違いに気付けば、この関係は自然に解消していきます。こちらがお勧めです。

 

 

 



「毒と薬と食品」

 

毒は体に悪い。

薬も症状や病状にはいいが、やはり体に悪い。

 

身体に良いのは食品。

ネガティブな 後ろ向きな思いはどくになり

ポジティブな 前向きな思いはくすりになり 何も思わなければ 食品になります。

 

人間は毒や薬ばかり飲むので、体がわるくなります。

 

 

 



「生活」

 

生活とは、生きるための活動のことです。

生きるための活動は3つあります。

 

①睡眠による回復、蘇生。

②食事による活動エネルギーの確保。

③運動による体液の循環。

 

この3つの活動の質によって、生きる質が決まります。

 

特に現在の日本は、運動の質が低下しています

運動とは、しっかりと筋肉を使うことです。便利になり過ぎて筋肉を使わない生活が定着していると、生きる質がどんどん落ちていきます。

 

しっかりと筋肉を使って立つ。しっかりと筋肉を使って歩く

しっかりと筋肉を使って生活すれば、睡眠も良くなります。

お腹が空いてエネルギー補給もスムーズです。

 

生活の質を高めること、これが人生の質を高める基礎になります。

 

 

 



「愛の証し」

 

 あなたは 愛されていますか?

この質問に、どう答えても結果は同じです。

 

あなたは愛されています。

 

何故なら、あなたが「今ここに存在している」こと自体が 愛されている証しだからです。

 

あなたは全てから愛されています。

好きなものからも、嫌いなものからも。

 

そして、あなたの中に存在している全てのものを愛しています。

好きなものも嫌いなものも。

 

 

 



「 用途に合ったことをする」

 

屋内用の製品は、屋内で使う。

屋外で使えば、そのうち壊れます。

 

自分自身を用途以外で使っていませんか?

 

 

 



「構える」

 

私たちは、それぞれが様々な才能や能力を持っています。それは元々持っている力が、経験や知識によって引き出されて行くものです。

 

元々持っているものですから、それは意識的なものではなく、無意識(潜在意識)にある力です。

 

無意識の中にある力を意識的に引き出す方法、それが「構える」です。

無意識に構えられるまで、意識して構える練習を続けます。

 

体の構えが出来れば出来る程、肉体的な能力が発揮されます。

 

心の構えが出来れば出来る程、精神的な能力が発揮されます。

 

そして両方が揃ってはじめて、本来の能力になります。

 

 

 



「感謝と文句」

 

具合の悪い時や症状がある身体に文句や不満を言うのなら、具合の良い時や症状のない身体に感謝する。

 

具合の良い時や症状のない身体に感謝をしないのなら、具合の悪い時や症状がある身体にも文句を言わない。

 

バランスはとても大切です。

 

※どの場合でも、現実的な対応は必要です。(念のための補足)

 

 

 



「私がルールブックだ」

 

自然界に判断はありません。

しかし人間は未完成であるがゆえに、自分が何者かが解らない分だけ判断をせざるを得ません。

 

そしてこの判断をするには、基準、つまりルールブックが必要になります。

 

通常、ルールブックは2冊必要で、ひとつは社会の中で使うもの。これが社会性とか大人になるとか常識とか呼ばれているもので、自分の判断をこのルールブックに基づいて行います。

 

もうひとつは、自分の中で使うルールブック。こちらは自分の心の成長と共に、本来の自分に沿うルールブックを創り上げていくことになります。

 

この二つのルールブックの進化とバランスが、人生における自由度とか幸福度などを決める大きな要因になります。

 

 

 



「良好な関係」

 

私達の悩み事の80%は、人間関係だと言われています。言い換えれば、人間関係が良好であれば、悩みの80%は解決するということです。

 

良好な関係とはどういう関係なのか。

 

これは立場や年齢・性別を問わず、相手との間にちょうどいい距離を保てているかどうかで決まります。

 

例えば、隣でピッタリくっついていても大丈夫な人と、そうではない人とがいます。大丈夫な人との距離はそれでOKですが、そうではない人との距離は近すぎるわけです。どのくらい離れれば、その人の存在がOKになるかがちょうどいい距離と言うことです。

 

これは物理的な距離の例えですが、実際には意識的な距離(相手のことが気になる度合い)がポイントになります。

 

こうした人との間の距離は、相手によって違いますし、または同じ相手とでも時と場合によって変化することもあります。

 

それとは別に、自分自身がもともと持っている人との距離というのもあります。基本的に人との距離が近い人もいれば、遠い方が楽な人もいます。

 

こうしてちょうどいい距離が保たれている時、その関係に問題は生じません。

 

 

 



「自由」

 

制限がない、制限されないということが 自由なのではなく

何も気にしないでいられる内外の環境を、確実に提供してくれる制限がしっかりとある状態を、自由と言います。

 

制限のないところに自由はありません。

 

つまり、自分にちょうどいい制限が見極められた分だけ、自由が手に入るということです。

 

 

 



「ありのまま」

 

ディズニー映画「アナと雪の女王」が大ヒットしていますが、そんな社会現象に対してある芸能人が「人に迷惑がかかっても、ありのままでいいという風潮が広がっては困る」という主旨の発言を聞きました。 この辺りに「ありのまま」を受け取るポイントがあります。

 

「ありのまま」でいいというのは「ありのまま」の自分を人に押し付けるのではなく、自分自身が「ありのまま」の自分を受け入れるということなんです。

 

多くの場合「ありのまま」の自分を嫌っていると辛くなるものです。 嫌うのでもなく好きになるのでもなく、ただそれが当たり前なこととして受け入れるということです。

 

現実の生活で、ありのまま にしようと考えて、言動を変えないことが大切です。言動は今までと同じまま過ごします。 ただ自分の中で、ありのままの自分を当たり前のように受け入れて行くにしたがって、縁が勝手に変わって来ます。

 

これが以前に投稿しました「ラベル」の話です。

 

 

 



「本来の自分に対して素直」

 

そのためには先ず、現状の自分に対して素直になることが必要です。

 

例えば、本来「わがまま」な人が、「わがまま」はダメなことだと思っているとします。この場合の現状の自分に対して素直というのは「私は、わがままはダメなことだと思っている」ということで、これは地図で言うと現在地です。

 

本来の自分に対して素直とは「私はわがままだ」と受け入ることで、これが地図で言う目的地になります。

 

現在地と目的地が判り、目的地へ向かう意志があれば、後はそれに必要な縁が勝手に繋がって行きます。

 

「わがままな人」が「わがままな人」になることが心の成長なんです。わがままが悪い事と一般的に言うのは社会性の話であり(社会性では、そのように認識していることは必要ですが)、心の成長に関しては良し悪しはありません。

 

わがままというのは、自分勝手ということでもありますが、自分を大切にしているということでもあります。

 

自分を受け入れ理解した上で、社会性が必要な場面では、本来の自分を隠してその場に合わせるという、この本来と社会性の両面のバランス快適な人生の大きなポイントです。

 

 

 



「素直」

 

親の言うことをよく聞く子供は、親に対して素直です。 だだをこねている子供は、自分の感情に対して素直ということです。

 

何に対して素直なのかによって、随分意味合いも違ってきますが、本来の素直とは「自分に対して素直」ということであり、生物的には「本能に対して素直」ということでしょう。

 

ただ人間の場合は、本能が未完成なところがあるので、未完成な部分に素直になってしまうと暴走しかねないため、社会性を身につけて未完成な部分をコントロールしていく必要があります。

 

ですから、未完成度が高い子どもや若い時期は、自分に対して素直ではなく、社会性に対して素直に受け入れていく比率を高くすることも必要なことになります。

 

そんな時期を過ぎ、必要充分な社会性が身につき、更に知識と経験により心が成長してくると「本来の自分に対して素直」ということがとても大切になってくるタイプの人がいます。

 

 

 



「違い」

 

この世界は相反するもので、バランスが保たれています。相反するものですから全く違うのは当たり前ですが、その違いを同じにしようとすると問題が起こります。これが葛藤や争いを作ります。

 

違いを認め合うと問題は起こりません。

これを調和と言い、秩序が生まれます。

 

 

 



「メンター」

 

私達の本当の「師」は、私達の中にいます。

 

だからこそ、現実の師匠を超えることも可能なのです。

 

 

 



「すごい能力」

 

私達はみんな、すごい能力を持っています。

ただ自分がすごい能力だと思っている力は、心身にすごい負担をかけます。なのでその能力は、自分を守るために封印されています。

自分が当たり前だと思っている能力は、心身に負担かけません。だから当たり前に使えます。

 

すごい能力を使いたければ、それが当たり前になればいいんです。そうなれば普通にすごい能力が使えるようになります。 ただそうなった段階では、自分にとってそれはもう、すごい能力とは思わなくなっていますが…。

 

 

 



「人生は記憶で出来ている」

 

私達の人生は、私達の意識と無意識の中にある記憶で出来ています。

 

[過去に何があったのか] ではなく

[今 何が起こっているのか] でもなく

[この先 何があるのか] でもありません。

 

それを [どのように記憶したのか] によって人生が作られていきます。

 

 

 



「ラベル」

 

私たちは無意識の中で自分の事を理解しています。正確に言うと、理解しているつもりでいます。

 

そうして理解しているつもり通りのラベルを自分に貼っています。お互いの生命力は、そのラベルによって必要な縁を結んで行きます。

 

この自分に貼ったラベルが、自分にちょうどよければ自分にちょうどいい縁ができます。 しかしそれが自分とは違うラベルだと、違う縁ができることになります。違う縁は、余裕があれば楽しめますが、余裕がなければ辛くなります。

 

自分に ちょうどいいラベルが 貼れていますか?

 

 

 



「若者よ」

 

映画 神様のカルテで、悩めるドクトルに 男爵が語った話。

----昔ある武士が、無造作にノミを使って仁王を彫っていた。それを見物人が褒めたところ、武士は言ったそうだ。

 

「私は仁王を彫り込んでいるのではない。木に埋まった仁王を掘り出しているだけです。」ってね。

 

--- また恩師である貫田内科部長がドクトルに こんな言葉も投げかけている。

---悩まない若者は 生意気だっ!---

 

根底にある大切なことは、自分は何になるのか、ではなく、自分は何であるのか。

 

若者よ、大いに悩め!

悩まない若者は 生意気だっ!(^_^)v

 

 

 



「縁」

 

私たちは、全てと繋がっています。その繋がり中で、私たちの意識に上ってきた出会いを「縁」と呼んでいます。

 

縁は、私たちが生きて行くために必要不可欠な出会いです。

縁はパーフェクトです。なので出会いに問題はありません。

 

問題があると感じる場合には、自分の中に勘違いがあります。

 

 

 



「悟り 2」

 

勘違いしている自分と、本来の自分との差を取ることが悟りです。といっても悟るために、出家したり、山にこもって修行をしたりするということではありません。

 

毎日の生活が、自分を知るために必要不可欠な体験なので、生活をしていることが、そのまま本来の自分を知る方向に向かっていることになっています。

 

その必要不可欠な体験との繋がりを「縁」と呼んでいます。

 

 

 



「悟り」

 

人間は未完成な状態で生まれて来るために、分からない所があります。分からないので勘違いもします。もちろんそれが人間ですから、それはそれでいいのですが、勘違いが多過ぎると辛くなってしまいます。

 

なのでその勘違いしている自分と、本来の自分との差を取って行きたいわけです。

これを「差取り」=「悟り」と呼んでいます。

 

悟れた分だけ、自分の人生が自分のものになって行きます。

 

 

 



「問題」

 

問題には、必ず答えがあります。

なので答えのないものは、問題とは呼ばないんです。

 

つまり答えのないことを、悩み考えている時は、問題ではない事を問題だと勘違いしているということになります。

 

悩んだり考えたりしている時、この問題に答えは有るのか無いのかを、先ず問うてみるのも いいですね。

 

 

 



「出来る事はする・出来ない事はしない。」

 

これが85%くらい可能になると、とてもスムーズに暮らせます。

 

ただし「出来る事」と「出来ると思っている事」は違うし、「出来ない事」と「出来ないと思っている事」は違う。

 

ここの理解が伸び率を決めるんです。

 

 

 



「適応と成長」

 

この世界(社会性)に適応しなければ生きていけないと勘違いして固めた心と体を、知識と経験の積み重ねにより、勘違いを正し習慣を改善して、適応前の状態に戻していく過程を 心の成長と呼んでいます。

 

もちろん適応しなければ生きていけないところは、勘違いしたまま固めておきます。

 

 

 



「すべてが私にちょうどいい」

 

色んな出来事があるし、色んな物が溢れてるし、色んな命が暮らしてる。

 

何が良くて 何が悪い ということではなくてすべてが必要で、すべてと繋がっている。

 

ただその繋がり方が違うと 結構しんどいわけです。

 

なので大切なのは その繋がり方ということ。